30代に入って感じる“やりたいことの空白”と不安未満のソワソワ
30代に入ってから不思議な空白のような感覚が、日常の合間にふっと顔を出すことが増えました。平日の朝、同じ時間に家を出て、同じ電車に揺られ、同じデスクに向かう。決して仕事が嫌なわけではありません。ただ、どこか映画のループシーンに入り込んだような“繰り返し”の感覚があるのです。
土日になると、その感覚はより濃くなります。予定がまったくゼロという日ばかりではありません。妻と出かけたり、友人と飲みに行ったり、映画を見たり本を読んだり。瞬間的には間違いなく楽しい時間なのに、ふと「これは本当に“自分がやりたいこと”なのか?」と自分に問いかけると、少し言葉が詰まってしまうのです。
20代の頃、僕は自分なりに小さな野望や目標を抱えながら走っていたように思います。大げさな夢ではなくても、「次はこれに挑戦したい」という“熱の向き”がいつもどこかにありました。でも30代になって同じ問いを向けると、驚くほど静かに空白だけが返ってくる瞬間があります。
「やりたいことがない」わけではない。
けれど「人生を動かすほど強い衝動」でもない。
そのあいだにある曖昧な感情。それが、30代に入ってから僕の毎日を少しずつ揺らしています。
もちろん、生活には満足しています。妻との日々は心地よく、仕事でも手応えを感じる場面はあります。ただ、その一方で胸の奥にはいつも“不安未満のソワソワ”が静かに残っています。「このままでいいのだろうか」という問いの手前で揺れる、名前のつけにくい感情です。
このソワソワは、休日に最も強く現れます。時間はたっぷりある。仕事のように明確なタスクもない。やろうと思えば何でもできる。でも、いざ「何をしよう」と考えた途端、手が止まってしまう。自分が心から時間を投じたいものが、すぐに浮かんでこない。20代では感じなかったこの静かな揺れこそ、30代特有の“生き方の問い”なのだと思います。
そして僕自身、その問いに対して急いで答えを出さなくていい、と最近は思うようになりました。30代は、20代のように勢いだけで突き進む時期ではなく、立ち止まり、余白を持ち、自分を見返すフェーズなのかもしれません。だからこそ、「続くもの」と「続かないもの」が自然とふるいにかけられ、自分の本音が見えてくる。
このあと、僕が実際に試してきたことを具体的に書いていきます。
興味を片っ端から試してみた日々。ランニング、コミュニティ、本、カメラのこと
30代に入り、やりたいことがはっきりしないソワソワを抱えながらも、僕は手を止めないようにしてきました。興味がわいたものは、一度やってみる。続くかどうかは、そのあと考える。そんなスタンスで動いてきた数年間があります。
そのなかで最初に続いたのはランニングでした。仕事終わりに近所を30分走ることから始めて、気づけば半年ほど続いていました。体が少し軽く感じられるようになった頃、調子に乗ってフルマラソンにエントリーしました。大会特有の緊張感や知らない土地を走る非日常感が心地よく、そこからさらにトライアスロンにも挑戦しました。
必要な道具もそろえ、ラン用のシューズやバイク、ウェアまで一通り揃えていました。早朝にバイクの整備をして、まだ静かな街を抜けるように走り出す。走っている最中は不思議と余計なことを考えなくて済む。自分について考えすぎない時間が生まれることが、僕がランニングに惹かれた理由だったのだと思います。
ランニングを続ける中で、人との関わりにも興味が湧きました。共通の趣味を持つ人たちとつながりたくなり、同じ地域で走っている人を集めて、小さなコミュニティをつくってみたこともあります。週末の朝に集まって川沿いを走り、終わったあとに軽くコーヒーを飲んで解散するだけの会でしたが、思った以上に続きました。コミュニケーションの練習にもなり、仕事とは違う関係性の中で話をする時間が新鮮でした。
一方で、体づくりへの興味もありましたが、ジムに行く習慣は長く続きませんでした。結局いまは、朝起きてすぐのスクワット・腹筋・腕立て伏せを合わせて10分だけという形に落ち着いています。派手さのない習慣ですが、体重と体組成は毎日チェックしています。使っているのはTANITAの体組成計で、体年齢が20代のまま維持できているのは、ちょっとした励みになっています。
運動以外では、移動時間に本を読む習慣が定着しました。理由は単純で、電車でスマホを触りたくないからです。ブックオフで毎月8冊前後買って、ビジネス書から哲学・歴史の入門書まで幅広く読んでいます。分野問わず入り口を噛んでみると、その後どのテーマを深掘りしたいかが見える気がしています。
そしてもうひとつ、ずっと続いているのがカメラです。PCは仕事柄必須ですが、カメラは完全に趣味として続いています。休日の数時間を使って撮影に出かけ、帰ってきたらレタッチをする。この一連の流れに入ると、時間の感覚がなくなるほど集中できます。夢中になれる時間の密度が、運動とも読書とも違う気持ちよさを与えてくれます。
ただ、こうした趣味や挑戦を積み重ねながらも、日常の中には依然として「何をしようか」と立ち止まる時間が多く残っています。それを重たく受け止めすぎず、むしろ「何もしないと見えてこないものもある」と考えるようになりました。興味の入り口をひとつずつ触ってみて、合えば続けるし、違えば手放す。その繰り返しが、いまの僕にはちょうどよいのだと思います。
続くものと続かないもの。その違いに気づいたとき、見えてきた自分の輪郭
いろいろなことを試してみて、ひとつはっきりしたことがあります。続くものと続かないものには、理由というより“温度差”のようなものがあるということです。
たとえば合気道に興味を持った時期がありました。仕事でストレスが溜まっていた頃で、体を動かしつつ精神的にも整えられる習い事として魅力を感じていました。実際に道場を見学しに行き、丁寧に説明も受けました。でも、帰り道で「これは長く続かない気がする」と直感して、そのままフェードアウトしました。実際に始める前に熱が引いてしまったのです。
一方でランニングやカメラは、理由を挙げられるほど明確な動機があったわけではありません。なのに気づけば続いていました。おそらく、自分の中にある小さな快感や充足感に触れられたかどうかが分かれ目だったのだと思います。走り終えたあとの体の軽さや、撮影に没頭していた数時間の集中の感覚。そういった微細な満足が、次もやろうという気持ちを自然につくってくれる。
だから今では、続かないことに罪悪感を抱かなくなりました。むしろ「続かないのは、今の自分にとって必要ではなかった」くらいの感覚でいます。30代になってから特に、限られた時間の中で何を残していくかという視点が強くなり、自然と取捨選択が進むようになりました。
そしてもうひとつ、今の時代特有の気づきもあります。興味を持ったことは、すぐにAIにキーワードを打ち込めば、体系だった説明やベストプラクティスが瞬時に返ってきます。やってみるハードルがとにかく低い。“試す”という行為の入口が圧倒的に広がっている時代だと実感しています。
その分、僕のように「やりたいことが見えない」と感じている人は、以前よりたくさん経験に触れられるはずです。続くものはそのまま続けばいいし、続かないものは経験として消えていくだけ。そう考えられるようになってから、ソワソワした感覚はほんの少し軽くなりました。
ただ、楽しいかどうかも続くかどうかも、やってみないと本当にわからない。やりたいと思って始めても、違和感があればそこで終わる。逆に、特に期待していなかったのに気づけば何年も続いていることもある。この予測できなさこそが、30代の“探す時間”の面白さなのだと気づきました。
30代は“探す時期”。小さな興味を拾って、試しながら進んでいけばいい
30代に入ってから感じる「やりたいことの空白」は、決してネガティブなものではないと今は思っています。20代の頃のように勢いだけで突き進める時期を過ぎて、立ち止まる余白が生まれる。その余白があるからこそ、本当に続けたいものだけが自然と残っていくのだと思います。
僕自身、ランニングも続いたし、カメラも続いています。一方で、合気道のように熱が一瞬で消えたものもあります。筋トレもジム通いも続きませんでした。でも、それでいいのだと思うようになりました。やってみなければ、続くかどうかすらわからない。やってみた結果、違うと感じたなら、それはもういまの自分には必要なかったというだけのことです。
今の時代は、興味が湧いた瞬間に、その分野の入り口にすぐ触れることができます。AIで調べれば、基本的な知識から実践的なステップまで、すぐに道筋が提示される。試すという行為のハードルは格段に下がっています。だからこそ、ソワソワした気持ちを抱えたままでも、一歩踏み出すことは以前よりずっと簡単です。
そして、30代でその“ソワソワ”を感じるのは、ごく自然なことだと思います。僕自身、休日の長い時間を前にして「何をすればいいのか」と手が止まる瞬間はいまでもあります。でも、その手の止まり方を嫌わなくなりました。むしろそこで浮かぶ小さな興味を拾って、試してみることが大切なのだと感じています。
おそらく、“絶対にやりたいもの”に最初から出会える30代はほとんどいないのだと思います。だから、僕たちの生活は小さな挑戦の積み重ねでできていく。続いたことはそのまま生活に溶け込み、続かなかったことは経験としてそっと消えていく。それで十分なのだと思います。
これからも、ソワソワと向き合いながら、自分のペースでいろいろなものを試していくつもりです。小さな興味に手を伸ばし、続けば続ける。違えば手放す。その繰り返しが、きっとこの先の僕の暮らしの形をつくっていくのだと思っています。

